論理的な記事の悪意について

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/04/16/231445

今回の記事は、学の無い店長の弱点が露骨に出ている。
オタクという言葉の意味を具体的に定義しないまま、あの人はオタクかどうか、
自分は本当にオタクなのかと思案する愚かさに、店長は全く気付いていない。
オタクの意味を知らないで、どうやってオタクを判別するつもりなのか。

体系的に知識を修得した経験が無く、常になんとなくでしか物を考えられない店長。
だから言葉をきちんと整形できないし、無用な説明や言い訳、留保に文字を費やして、ぼやけた文章になってしまう。
実体験を語るコンビニ記事だけが店長の価値だが、それすらも、下手な文章のせいで威力が削がれている。
http://anond.hatelabo.jp/20130417191802

言葉の定義が必要か?

上記の文章の「オタク」を「人間」に置き換えてみればよいかと思う。

人間という言葉の意味を具体的に定義しないまま、僕は人間だろうか?あの人と僕は同じ人間だろうかと思いめぐらすことは、愚かなことだろうか?

もし具体的に定義してしまったら、それは区別することにしか使えないかもしれないのではないだろうか?この言葉の定義では、人間でないと。

しかし、今度は、その言葉の定義は本当にそれでよいのだろうか?というところに陥ってしまうのなら、結局は、最初に具体的に定義する意味なんてあまりないのがわかるかと思う。

また、人間かどうかの区別を問題としているわけでなくて、もっと違うものを問題・表現したいとしたらという観点も忘れてると思う。


もちろん、学問とか議論とかの時に、言葉の定義は必要なことが多いが、それは、思案することとは直接関係ない。言葉の定義がなぜ必要か?ですね。


8割の真実(事実)に2割の嘘を入れても・・・

8割が説得力があったり、共感できたりすると、人は残りの2割も真実(事実)だと思いがちである。

論理的な記事の悪意

論理的で簡潔で、単純な構造の記事で、論理的な矛盾がないものは、意外と面白いものである。でも、その内部に潜む罠(悪意)みたいなものには気を付けたほうが良いかと思う。

悪意というのもある意味、面白いというか刺激的なスパイスなので、そういう味付けがあると、なぜか面白く感じたりするんだけど、そういうスパイスが使われていることぐらいは認識したほうが良いと個人的には思う。

人格攻撃もどき

体系的に知識を修得した経験が無く、常になんとなくでしか物を考えられない店長。
だから言葉をきちんと整形できないし、無用な説明や言い訳、留保に文字を費やして、ぼやけた文章になってしまう。
実体験を語るコンビニ記事だけが店長の価値だが、それすらも、下手な文章のせいで威力が削がれている。
http://anond.hatelabo.jp/20130417191802

人格攻撃だから悪いというわけでなくて、誠実でない感じだから私は良くないと思うんですね。

「体系的に知識を修得した経験が無い」とかそういう感じのことです。

論理的な文書でも、意外と悪意というのは埋め込めるもんなんです。

ただ悪意の証明というのは難しいので、その点をもちいて論理的に悪意とは言えないという人たちもいますが、そういうのはある意味ダメだと思います。それで、言えないというところから、悪意はないというところまで拡張してしまう人たちもいまる。

学問や議論の時に、言葉の定義も大事だけど、誠実さというものも大事だと思います。

誠実さがないところには、不毛なものが生まれがちです。それは悪意の証明のところを考えればわかるかと思います。

事実だけしか書いていない

その場合でも、悪意を埋め込むことは可能です。

それは編集という技術(テクニック)を見ればよくわかる話だと思います。

・論理的
・事実

そういう検証をすれば、見抜けるという思い込みがある人は、落とし穴にはまりやすいのかも。

公平かどうかも無意味だと思う

読んだ結果から言うと、途中から明らかに書いた人に対する批判になっている。また、エントリーに対する批判も、なぜ、そのような判断を下すに至ったのかの理由が書いていないため公平な批判ではない(基本的に好き・嫌いの表明になっている)。さらに、そもそも批判しようとした理由からすると、批判のために批判していると受け取られてもしょうがない。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20130420/p1

論理的、事実以外に、公平とか言う観点もあるわけですが、この公平という概念もあまり現状では役に立たないと私は思う。

巧妙にやればこのあたりはクリアできることもあるのと、公平というのは価値観に依存することがあるという点があるので、個人的にはどうかなと思う。

つまり、「XXXだからダメ」というものは、逆に利用されやすいのと、その考え方は思考停止を促しやすいという点が気になります。

おまけ

・あおり記事
・誹謗中傷記事
・論理的矛盾がない批判記事

そういうのは私も面白いとおもったことがあります。
ただ、面白いからといって、無条件に肯定してはいけないのではないか?と思っているだけです。

まあ、某日記サービスで流行っていた内容な気もしますが…。

おまけ2

24時間残念営業の何某は、僕が書いたブログのエントリーを取り上げて、「インターネットでは多くの人がこれを書いた奴はキチガイだと言っている」と書いたのだが、そんな発言はどこにも存在していなかった。件のエントリーを指して僕を気違いと呼んだのは24時間残念営業の人、ただ1人だけである。
http://www.sinseihikikomori.com/2013/04/24.html

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