「正しさ」で人に好かれるコツ

  • 投稿 : 2013-04-06
  • 更新 : 2014-07-01
世の中には「正しい事をしているのに何故嫌われるんだ」と思っている人が一定数いるように見える。
しかしこれは、そもそも問いの立て方がおかしいのだ。
正しさというのは喧嘩のルールみたいなものである。何が揉め事があった際に、どちらの言い分をどれだけ認めるべきか、正しさポイントの多寡で決めるというシステムだ。
https://anond.hatelabo.jp/20130406202403
・人(他人)を擁護してあげるために使う「正しさ」は好かれる要素がある
・自信を擁護するための「正しさ」は嫌われる要素がある

正しいことには、逆らうことができないという性質があるために、嫌われたりするのです。
また、誰にとって正しいのか?というのも重要な要素だと思います。

「正しさ」とは、本来は、立場の弱い人を助けるためにあるものだと個人的には思う。

しかし、「正しさ」を立場の弱い人たちを助けるために使っても、逆に違う「正しさ」報復を受ける可能性はある。

「正しさ」というのは、力がある側に有利になってることが多いのが特徴。それは、力がある者たちが「正しさ」という基準や秩序を作り出しているからです。

もう、正しさで何かを決めるのは、無理があるのかもしれない

嫌われる、嫌われないとかいう以前に、社会の秩序としての限界かもと思います。

「正しさ」には、多数決の暴力の様な性質が多分にあると思います。

多数決が正しいというのも、ある一定条件を備えてるときのみ正しくて、暴力にならないだけで、条件を満たさない場合は容易に暴力になるのと同じだと思います。

0か1ではない正しさ

正しさに溺れている人たちは、まずは0か1というような考えを捨てることです。

・8割ぐらいは正しいかもしれない
・3割ぐらいは正しいかもしれない
・4割ぐらいは悪いかもしれない

そういう思考を持つ努力をすると、「正しさ」で人から好かれるようになるかもしれません。

単に、自身を擁護するからとか他人を擁護するからとかでなくて、アバウトな正しさを持たないと、人間味がないので人から好かれないという結果になりかねないということです。

人間関係には、お互い様という言葉があるように、アバウトな正しさが要求されると思います。100%の非が相手にあるとした場合は、人間関係を切るという意味合いがあると思ったほうが良いと思う。

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