追い詰められたことがないのに、「人間性がよい」とか言われても・・・

彼女居たこと無い男が「僕はDVしない」とか言っても…
>浮気なんかしない
彼女が居て、別の女の子からアプローチをかけられて、それでも彼女が大事だからとアプローチを断った、
そういう経験がある人しか「浮気をしない意志」の証明は出来ないと思います。


>女の子なんか殴れるわけない
これも、彼女が出来て、彼女がものすごく多弁で身勝手で小うるさくてウザい子だった経験がないと、
「それでも殴らない」みたいなことは言えないと思います。

パチスロや風俗や借金なども、平均~平均以上の育ちをしていたら不用なものでしょう。
そういうものを必要としない人間に育つことが出来たというのは、それなりに恵まれていることなんですよ。
世の中にはあなたの想像を絶する底辺があります。
そこではパチスロや風俗や借金が当たり前だったりするわけです。
そんな状況で育ちながら、パチスロや風俗や借金をしないのであれば、それは強い意志です。
http://anond.hatelabo.jp/20130317230524

大半の人間は、追い詰められた時に、人間性を維持できない

聖人並みの人でない限り、つまり99.999%程度の人は、追い詰められた時に人間性を維持することはできないわけです。

人間性の維持にも程度問題があって、余裕のある時と同じ人間性を、追い詰められた時にも維持する必要さえなくて、人間としてどうなんだ?というレベルを超えない程度で維持できれば、人間性を維持しているともいえましょう。

底辺はパチスロ…、底辺は借金…

底辺はパチスロというのが事実と仮定して、金持ちたちは?というと、海外カジノとかでは?と思います。

パチスロはダメ?で、海外カジノがOKな理由は?それは、お金の余っている人たちがやっているか、そうでないかの違いでしかないかと思います。

借金については、中流の人は、クレジットカードのリボ払いとかでは?

強い意思かどうかは、結果に左右されないかもしれない

単純な話、パチスロや風俗や借金が当たり前の環境で育ったけど、単に興味がないというだけで、パチスロも風俗も借金もしないという人もいます。これは強い意志でしょうか?

強い意志かどうかを評価するのに、結果や状況にとらわれるのもどうかなと思います。

強い意志というのは、信仰のようなもので、それが正しいと信じ実行しようとする力なんです。



恵まれた環境の人が、人間性を維持しやすいように

強い意志(志)を持った人も、同様に人間性を維持しやすいわけです。

これ、浮気をしない、女の子を殴らないでも同じです。
強い意志(志)というのは、結果が出せることでなくて、単に強い「思い」であるわけです。

非暴力主義者とかも似たようなものです。

ここで、実際に戦地にいかされて、人を殺さないとかいうことはありえないとかいう論理を展開できたとしても、非暴力主義の人と、そうでない人たちとでは、その集団(集合)で統計をとれば、目に見える差がでてくると思います。

戦地にいって、人を殺しているからといって、非暴力主義者は、非暴力である意思を証明できないということではないのです。強い意志がありながら、あらがうことができずに、人を殺すと結果に至ることもあるでしょう。

追い詰められたら、同じ状況になったら

態度は変わるかもしれないが、ただそれだけの話です。
開き直って、浮気はします、DVにならない程度に殴りますとかいう人よりも、ずーっとマシなことが多いと思いますよ。

これ、人間性も同じで、表面だけでも繕おうとする人の方は、開き直ってる人よりも、ずーっとマシなことが多い。

相手を理解するために、同じ状況になったらという論理展開は悪くないと思うのですが、相手を批判するとか、自身の意見を正当化するのに使うべきものではないかと思います。

志を持つのは、悪いことはない

私がはっきり言えることはこれだけです。

1.すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
2.何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%92%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

ニヒリズム(虚無主義)的な立場に立つとしても、1と2ではかなりの差があるわけです。
引用先は、2に近いような論理に私は感じました。

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『追い詰められたことがないのに、「人間性がよい」とか言われても・・・』へのコメント

  1. 名前:とおりすがり : 投稿日:2015/09/23 22:27

    これ大事な内容ですね。
    これが足りないだけで人類は、これまでも、これからも、ひたすら過ちを続けるんですものね。

    当然のことだと思うんだけど腹まで落ちてこない事です。
    頭でわかってる人ですら、毎日意識しないと消えてしまう概念。

    この記事に書かれていることそのものの命題が、人間の真実であって、これを維持出来ない構造に対してどうアプローチしていくか、ということを考えなきゃいけないのに、そこから目を逸らしているというか、認知できない人が多い。

    どういった場合でも、絶望から和解するプロセスが一般的な結末ですね。そうでないと生きていけないという。シモーヌ・ヴェイユとかも似たようなこと書いてますね。

    大抵の場合、「追い詰められたときに人間性を維持出来ない」ということについて、一見して追い詰められている場面で、人間性を維持出来ている場合は、当事者が状況を正確に理解していなかったり、そもそも当人にとって重要でないことがほとんど。鈍い人間は当事者以外を傷つけることも傷つくことも少ない。ただそれだけ。本当に同じ精神状態において、同じような状態を保つことは、誰一人にとっても出来ない。だから知識が必要なのだ。人間性の維持において、より多くの対処法や分析、評価といったことを正確に行うことによって、人間性を維持することによって「きちんと」「個の判断による、自律した処理系によって」危機を脱したり問題を解決したりすることが出来れば、それをもって知性というのだ。大抵の場合、他律している部分を無視しているが。

    ・・・・・・DVについては、本当にDVしない人の場合は、罵声を挙げた後、モノにあたる人が多い。
    そこらじゅうにあるモノを器物破損して、その後外出していく場合が多いみたいですね。
    そもそもが、暴力衝動に対しての処理系をいかに確立しているかで決まることです。
    処理系がダメな人は相手に暴力ふるうまでその場にとどまっています。
    場合によっては戻ってこないでそのまま離婚。
    愛情云々って意味で冷めなくても、暴力衝動までくれば、そもそも関係が維持できなくなるんです。
    だからそういう人って、いい人なんだけど逆に結婚しない(できない)人も多い。
    だいたい、ヤンキーとは別の意味で、関わると怖い人、口うるさい人だと感じるので。

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