好きだという感情は、傲慢な物なので、理想化する必要はない

「好きかもしれない」という女性が現れた。
でも、その女性には彼氏がいたので「仕方ない」と諦めていた。

最近になって別れた、と聞いた。
飛び上がらんばかりに嬉しくなったけど、他人の不幸を喜んでいるようで嫌になった。
好きならその人の幸せを望むんじゃないだろうか。
私の「好き」はもしかして、単に美人を前にして湧き上がった性欲なのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20130323233630

彼女(彼氏)と付き合うことで、不幸にするとしてもそれでも付き合いたいという「好き」という気持ちもある。結婚だって同じです。

俺(私)と結婚せずに、ほかの人と結婚したほうが幸せだったのに違いないという客観的な事実があろうと、そんなことは大した問題ではありません。また、相手も選択し、決断した結果ですので、一方的に責任を感じる必要はないのです。

相手のことを思いやる気持ちは大事だけど、でも相手にも人格があり意思があることがわかれば、そんなに心理的負担を抱え込む必要がないのがわかるかと思います。

好きにもいろんな形がある

好きということが、彼女の幸せを望むことなら、
世界の全てから自分が遠くに追いやられて、風の噂で「彼女は幸せになったよ」と聞けたら十分のはずなのに、満足できない。
彼女の隣に知らない男がいることは許せない。
http://anond.hatelabo.jp/20130323233630

独占欲的な好きは、そういうものだと思います。
独占欲的なものでなくても、一緒に幸せを感じたいというのも、好きの形の一つだと思います。一緒でないとダメだというのがポイントかと。

苦楽を共にしたいというものだってあります。幸せなことはなかったが、一緒にいることが幸せだったという人だっているでしょう。

まあ、最近はみんな利己的なので、そもそもそういう悩みなんてあまり持たない人が多いだろうし、また問題とされないと思います。

不幸になった場合に、相手が原因だったと相手を責めるのに使える程度の論理かと思います。

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