理系学生のよくある勘違い

文系のレポート、理系のレポート

そんな人文の授業では、レポートが課されたりもする。そして人文系の授業を受け持つ先生は、8割がたこう言うのだ。
「レポートは長ければ長いほどいいです」

一方理系の授業のレポートではほぼ間違いなくこうだ。
「レポートは無駄に長くしたりせず、肝心なことを簡潔に書いてきてください」

数学が苦手で理系の授業ではわからないことだらけで留年したりしている私だが、この二つのレポートに対するスタンスの差だけでもやっぱり理転してよかったと思ってしまう。本質を簡潔に表現できることこそが、物事をよく理解していることの証明だと思うからだ。

文系の授業ではレポートが長ければ長いほど評価できる力を成績の基準にしているのだろうが、それはいったい何なのだろう?今度質問してみよう。

http://anond.hatelabo.jp/20070607145728

理系は論理的だが、文系はそうでない?!

いやいや、学問という名がつく限り、どんなものでも論理的です。

哲学は論理的か?論理的。
法学は論理的か?論理的。
経済学は論理的か?論理的。


理系の学生は、簡潔すぎるので・・

理系の教養課程で、人文系の学科でレポートを課題に出した場合、簡潔に書きすぎて内容がなさすぎる傾向にあるので、多くの教授が仕方がないので、長く書いてくださいと言ってると思われる。

また、物事を理解してなくても簡潔に的確に書く方法なんていくらでもあるわけだから、それだけで理解してるかどうかは判断しがたい面もあろうと思う。

あと考えられる可能性は、その大学の理系学生が馬鹿か、その人文系の授業をする先生の質がわるいかのどちらかかの可能性はあるかと思う。


理系の学生は、肝心なことが書けない学生が多いので・・・

理系の授業で、レポートは無駄に長くしないで、肝心なことだけを簡潔に書いてくださいというのは、肝心なことを書けない学生が多いからだと予想する。


言葉の表面だけで、理系の人はとらえがち

レポートは長ければ長いほどよいです。しかし、無駄に長いものはダメですという意味かもしれないということは考えないわけです。

無駄に長いのはダメで、肝心なことを簡潔に書けてないのもダメだという前提で、レポートは長いほどよいと言っているかもしれないということ。

その条件を守るなら、長いほど深い考察が書けるはず。

理系は、文系より優れてると思うのはやめたほうが良い

将来、研究者になるのならともかく、普通に就職してサラリーマンになるのなら。

履歴書は簡潔なほうが良いとか、自己PRは簡潔なほうが良いとか、本末転倒なところに走ってしまうかもしれないから。
レポートにしても、それをどういう目的で書くかによって、文章の書き方やスタイルが変わるのは普通だと思えないで、「一般化された真実」を求めがちなのがダメなところだと思います。

研究者になるとしても、そう思うのは良くない気もするが、研究者がどういうものなのか知らないので私はわからない。

おまけ

長文を有難がるのは頭が悪い証拠

コンピュータプログラムでも、なるべくシンプルで簡潔なソースコードが求められる。プログラム書くのが上手い人ほどシンプルなコードを書くものなのである。プログラミングに不慣れな初心者は、無駄に冗長なプログラムを書く。そしてそういう簡潔ではないプログラムはバグの宝庫だ。
http://anond.hatelabo.jp/20130224013039

恋文は、好きですの一言のほうが簡潔でよいと言っているのと同じかと思います。もちろん、そのほうが良い場合もありますが、そうでない場合も多いでしょう。

あと、コンピュータプログラムは、文章でないです。

無駄に長い冗長なプログラムが悪いですが、理由がある冗長なプログラムは問題ありません。冗長なのに、なぜ悪くないのか?という点が重要です。
また、シンプルなコードが良いと言っても、トリッキーなコードで短くしたものは一般的には良いコードと言われません。

引用先と似たロジックで、「短文をありがたがるのは、頭の悪い証拠」という内容のものもかけると思いますが、そんな文章に意味があるとは思えません。実際、長々とした専門知識を織りまぜた説明より、ほとんど内容のない短い説明のほうが、一般受け良いですし・・・。でもって、そういう一般受けする専門家のほうが、なんかすごい人だと思われがちですが、同じ専門家の間では、どうでしょうか?

キレイなコードが良いというエンジニアは迷惑千万!?

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