自分語りと自己承認について

ほとんどの自分語りは自己承認を求めていたり武勇伝を語りたいだけで、それらが透けて見えとても気持ち悪く感じる。おおっぴらにしているのにも関わらず自分しか見ていないのだ、ネットによる他者の疎外といえるのではないか。


パソコンやスマホの前では誰もが最も主観的となり、読む者がいてこそのブログ、ツイッターであるのに読者を無視する。
http://anond.hatelabo.jp/20130223145513

自己承認と他者承認

承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。


劣等感の強い人間や、情緒不安定な人間は自己承認が困難だったり、あるいはその反対に過大な自己評価をしがちであることは、よく知られている事実である。また、思い込みが強い人間や被害妄想に囚われている人間の中には、幻想の他者を造り出してしまうために、自分が他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82

wikipediaの記述なので微妙なところがあるが、そんなに間違ってはいないだろう。

自分自身で、自分を承認できるのならそれはそれで問題ない。そうでない人たちは、他者からの承認で、自分を承認できるだけかと思う。どっちの承認がよいとかそういうのは基本的にないと思う。

人生の主人公はだれか?

難しい話はともかく、自分自身の人生を「自身が主人公の物語」として認識するのは、そんなに悪いことではないと思う。

個人差あるとおもうが、若いころは「自分語り」をする人を気持ち悪く感じでも、年を取るにつれてそういうのを気持ち悪く感じない傾向にはありそうに思う。

自分語りの問題でない可能性

単に、嫌な奴だというだけの話。でも、人の好みはざまざまなので、そういう嫌な奴が好きな人もいるということを忘れてはいけないと思います。

そんな武勇伝なんて誰も聞きたがっていないとか思っていても、実は楽しみにしてる人たちもいるということ。

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