ヘイトスピーチを批判するとヘイトスピーチになりかねないというジレンマ

「ヘイトスピーチするネット弁慶はボランティア行け」がイラつく理由

「ヘイトスピーチは悪い」「レイシストは悪い」本来はこれだけで良いはずだ。
でも、反差別を声高に主張したい。力強く語りたい。
正義の立場と言葉の力みが、自らの抱く無自覚の偏見を漏出させる。
http://anond.hatelabo.jp/20130222180057

ヘイトスピーチの目的は、特定の相手への反感、敵意、攻撃的感情を集積することにあり、その目的に沿った意見や出来事、特徴の提示は正しく、その目的に沿わないものは、「洗脳されている」「買収されている」「捏造している」などと単純化して批判される。対象となっている集団と攻撃をしている自分たちとのあいだには本質的に乗り越えられない優劣の差があるという見方を広めることで、悪意の正当化がなされる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81

・ヘイトスピーチをする特定の相手(集団)への反感を示している
・批判されたら、発言内容を単純化して、批判をかわす
・ヘイトスピーチをする人達と、我々(NHK_PR?)とには、本質的に乗り越えられない優劣の差がある


たぶん、イラつく理由は、この発言自体が「ヘイトスピーチ」と性質の似たものだからだと思う。もしかすると、ヘイトスピーチそのものかもしれない。

私自身は、ヘイトスピーチというものを初めて聞くので言葉の定義をよくわからない。
たぶん、「ネガティブ発言」と同じ便利さがあるような気がする。何かを批判する振りして排除するという目的において・・・。

相手の論理体系も同じだと思ってはダメ

あと気になったのは、「1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ」という部分。これ、自身の価値観が正しくて、相手の価値観が間違っていると思い込んでいる人が、良く勘違いすることに似ていると思う。実際に、東北へ行ってボランティアをしても、価値観は変わらない人のほうが多い。

たとえば、医者に対して、ワクチンでわが子をなくせば、考えが変わるはずという思考ですね。
実際には、多くの医者は、わが子をワクチンで亡くなっても、考えが変わることはない(と思われる)。

人は、自身の価値観を強固にする方向には動きやすいけど、その反対はなかなかありえない。それは、その価値観が自己のアイデンティティと結びついている場合は特にその傾向があると思う。

正しくないことでも、多くの人が認めれば、そちらが選択される

ワクチンの例でいえば、医者のいうことは正しいが、本来の選択権は医者たちにあるわけでなくて、社会にあるので、「医者たちの正しい」というだけでは何かを決めれるわけではないということも、多くの人は忘れがち。

相手に向けた言葉かどうかの判断基準

価値観が理解しがたい相手の論理体系もよく知らずに、自身の価値観の論理体系を適用するのは、相手に向けた言葉でなくて、自身の賛同者を増やすための発言だと考えられると思う。

「ヘイトスピーチするネット弁慶」に向けた言葉でなくて、それを快く思わない人たちに向けた言葉(発言)かもしれないということ。

ヘイトスピーチを批判するとヘイトスピーチになるのなら、批判できないじゃないか?

そういう単純化がよくないんです。
たんに、批判するときは正しさに溺れないで、方法や手段を検討しましょうという意味程度なんです。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。