信仰心のない人の弱さについて

トラバやブクマのコメントで、お前の苦しみは信仰が無いこととは関係はないのではないかという指摘を幾つか頂いている。まさしくそうだと思う。私は自分の苦しみを他者に重大に聞こえるように偽装している。結局のところ私の苦しみは「濃密な人間関係の無さ」「他者への信頼感の薄さ」にあって、それは単に気質の問題に帰着するのだと思う。
人付き合いに本気になれない人間がどうやって孤独を感じずに過ごせるか、という言い方のほうが正確なのかもしれない。しかし、これで何かが解決するかといわれれば、かえって遠ざかったような気がしなくもない。悩みを解決するとっかかりが見いだせないというか。
ただ無宗教の問題は単に偽装のためだけに挙げたわけではなくて、西洋思想や文学を読み解きたいという知的好奇心をともなって起きたもので、これはこれでまた別の悩みというか趣味的な探求心として心のなかにある。これについては改めて、今度は個人的な問題に性急につなげずに記事を書きたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

絶対化された世界と相対化された世界

信仰(宗教)というのが便利なのは、絶対化されるということ。神との関係によって世界を構築することが可能だということです。

信仰心を持たない人は、人(他者)との関係によって世界を構築していかないとダメなのです。人(他者)は絶対化することができませんし、自分自身も絶対化することができません。そう、相対化されたなかで、揺らぎない価値観や関係を構築していかないとダメなのです。

価値観が揺らぎにくい人、繊細でない人たちはこの大きな違いが分からないため、宗教と関係ない問題だと言い切ることができるわけです。

相対化された世界でも幸せなら悩まない

絶対化する簡単な方法は、思い込むことです。

客観的に考えようとか、思考の探求をしたくなる人は相対化された世界では、すこしの悩みがあるとその悩みから今までの価値観が揺らいで崩れかねないんです。

心が不安定な時に、何かを信じられないとますます不安定が加速します。

揺らぎにくい礎について

揺らぎない部分を作るのは絶対化するほうが簡単なのですが、相対化された世界においても揺らぎない部分を作ることは可能です。

他者との関係によって、自身が定義づけられるとしても、多くの他者が存在すれば、揺らぎにくくなるのは感覚的にわかるでしょう。

相対化された世界では、他者との関係が重要度が高いのがわかるでしょう。しかし絶対化された世界では、神(やそれに類するもの)を信じるだけというシンプルな構造で成り立つことができるのです。

信仰の素地のない人

困った時に急に神を信じるとか、そういうのが無理な人もいます。引用主などもそのタイプなのかもしれません。

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『信仰心のない人の弱さについて』へのコメント

  1. 名前:音楽マニア : 投稿日:2016/05/20 18:44

    信仰は苦しい(笑) すこぶる個人的なもの。これを追求して迷った時期も長かった(今も?)
    宗教機関を10年でやめ、近々US季刊パンフ購読もやめる。神は自分一人でも見出せる!と信じている。しかし生活は精一杯。これが自分の最善の道。
    あなたは若くて理想主義。聖典は矛盾もあり、あなたが宗教心があれば幸せになるかはやらないとわからない。人間の数だけ信仰は存在する。
    読んでくれてありがとう!

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