男は仕事、女は家庭の何が悪いのか?

男は仕事、女は家庭は歴史的に見ても自然

男は仕事、女は家庭の本当に意味は、
男は仕事で女は家庭(の仕事)って意味。
これを全く分からないで、
男は仕事、女は家庭っておかしい!とかわめいているのって
いつみてもアホだと思う。

男は仕事、女は家庭って、よく出来てるな。
ますます、自然な形態に思えてきた。
結局、人類の長い歴史で培ってきた英知の道のりが、
やっぱり、最も自然だということ。

http://anond.hatelabo.jp/20130112060014

男は仕事、女は家庭の何が悪いのか?

社会や周りが、個人の役割を決めるのがダメだということ。その決める要素が今回は性別なだけ。

どんな美学や主義主張を持とうが個人の自由ですが、それを他人に押し付ける段階になれば自由だと言っていられるわけがありません。

女性で仕事をしたい、続けたいという人がいて、そこで、「男は仕事、女は家庭」だから、自分勝手は許されないみたいな感じはダメだということですよ。

本当のところ何がダメなのかというと、論理を振りかざして自分自身の都合の良い条件を相手に押し付けるところです。


専業主婦の歴史は短いという話について

専業主婦の歴史は短いというのは、「男は仕事、女は家庭」だと信じて疑わない人たちに、違った視点を見せることにより、そのしがらみから抜け出して、改めて考える機会を与えてるだけだと思います。

どんな根拠を持っても、社会や周りが個人の役割を本人の意思を無視して決めてよいわけはありません。これが根本です。歴史がどうだとか、長い短いとか、自然な形とかそんなの関係ありません。


人権に関して考えてみると良い

長い歴史でみれば、人権なんて概念自体最近の話ですし、人権が自然と思うのもごく最近の話です。

人権を与えすぎてるとかいう主張の人もいますが、そういう主張をする人の思考は、自身の人権が多すぎると思ってるわけでなくて、他人の人権を何とかして制限したいと考えてるところが重要なのです。

その話は、どちらが正しいかは別にして、権利やそれに類するものは、他者との関係でぶつかりやすいわけです。「男は仕事、女は家庭」という話も結局は、同じです。

他人に対する愛情や配慮が欠けてることが問題

簡単に言えば、自身の都合や権利らしきものを主張して、他人に対する愛情や配慮に欠けてるのが一番の問題。

家長制度(家制度)の時のような、家の為に犠牲になりなさい的な発想に近いことを意識すべき。実際には家の為にという名目をつかって、人をうまく動かしてるだけかもしれません。

たとえば、嫌なことや雑用を押し付けるみたいな感じ。

現実問題は、男と女はそんなに論理的にはいかない

だからこそ「男は仕事、女は家庭」とかそういうものがあると、意外と便利だと思う人も多々いるでしょう。

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