「自分のことが嫌い」から脱却する簡単な方法

「自分のことが嫌い」な人は、僕に5分だけ時間を下さい。

これから、「自分嫌い」が治る考え方について話します。
自分が好きになる方法ではありませんが、一瞬にして視界が開けるかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20130109235643

僕が思うのには、嫌いという感情を、論理や理性で治ると考えるのは無駄ではないか?ということです。おまけに小難しすぎて、何を言ってるのかわからない時点で、自己嫌悪に陥りそうです。

自分自身のことが嫌いというのは、自分自身を好きでありたいという思いの裏返し

自分自身が、嫌いだというのは、それはそれでそんなに悪いことではないと思います。生きていくうえで、不利だとか、苦しいとかそういうところがある程度です。

自分自身のことに無関心だとか、どうでも良いと諦めきっていたら、自分のことが嫌いというのはあまりありえませんし、仮にそうであっても全然困りません。

自分自身のことが好きでありたいとか、周りから認められたいとかそういう前向きな承認欲があるから生じる感情だから、本当のところはそんなに悪いことではないのです。


人間不信を改善するのと同じ方法が使えるかもしれません

人間不信を克服する方法はあるか?

人間不信の時は、まずはほんの些細な物でも良いので、信じられる礎を探すことから始めたように、自分自身が嫌いを改善するには、自分自身の生きる上での美徳のようなものを探すのが良いかと思います。

人を踏みにじるのは嫌だとか、そういうどうしても譲れないものがどこかにあるかと思います。そういう部分を探して、そこを礎にして、心のよりどころとする方法です。

たとえば、大金を積まれてもこういう行為はしたくないとかそういうのがあるでしょう。そういう行為をしないということが、あなたにとっては大金と同価値があるものなのです。


若者は、認知のずれがある場合がある

若者だけに有効な方法ですが、コンプレックスを抱いている部分が実は、実際よりも大きすぎるかもしれないということです。

こういう場合は、より広い世界をみたり、価値眼が違う人たちと多く接したり見ることにより、嫌いな部分が嫌いだけど、精神的に緩和されていくことはあります。


清く正しすぎると、脱却できない可能性もある

理性的で、客観的で、おまけに清く正しすぎる人で、自分自身が嫌いな人は、その暗闇からなかなか出てくるのが難しいです。

幸せなんて、勘違いの連続と運などの気まぐれが合わさって、出来上がることが多いものなのですが、人間味の書ける論理的な人は、事実を事実どおりにしか認識できないため、ダメなんです。


自分自身の嫌いな部分が、すべてなくなれば、自分自身を好きになれるのか?

このことをよく考えてみてください。多くの場合は、好きにはなれないと思います。賭け事と同じで、負けないだけではいつまでも勝てないのと同じく、嫌いなものをなくすだけでは、好きにはなれないのです。

そして、嫌いな部分が自分自身が嫌いな理由だと勘違いしてることに気づくでしょう。

つまり、嫌いな部分がどんなに数多くあろうと、好きな部分が1つでもあれば、自分自身を好きになれる可能性があるということです。

これは、他人でも同じです。あなたからみて性格の悪い人を良く観察してみてください。

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