僕の純粋な気持ちを裏切ったな / 誰かを馬鹿にするのは気持ちい /差別との戦い方

・その1 嘘がソースの話は信用するなボケ
・その2 安易に拡散するなハゲ
この日記を読んでいる方は、ネットリテラシー能力が高い人が多いので、このような失敗はしないはず。しかし油断は禁物、今回の例を他山の石として気をつけたい(オマエモナー AA略)。
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20120202/p5

馬鹿な行為とは何か?

・写真が文章のイメージだけの場合はありがちで、このことを多くの人は許容している可能性がある
・いい話だなということと、信用すること事実であることは別であることも多い

ネットリテラシー能力が高い人と自負する人の一部の人は人間味がない人が多いと思う。何でもかんでも、一律にそんなことをしては駄目と一般論に導きがちで、その本来のリテラシーの意味がない。

道に落ちている10円玉をネコババするのも、100万円をネコババするのも同一に世の中の人は考えない。もちろん小学生などに教育するときは、このことを同一かのように教える。ネコババする行為は、金額の大小にかかわらず悪いことだということを教えるためでもある。もちろん、それはそうですが、実際には違います。それは社会に対する影響度が違うからという面もあるでしょう?

ここで、ネコババは悪いという一辺倒の理論をつかて、何かを馬鹿にする行為をするのは、逆に馬鹿な行為かもしれません。これは、倫理的な面をもっているのでなかなかその間違いを指摘しにくいので、ますます勘違いしていく傾向にあるのかもしれません。

僕の純粋な気持ちを裏切ったな

実話だという話も広まりだすと、そこに尾ひれがついて事実でない部分もたぶんに付加されていく。しかし、実話であればそのことは大概問題とされない。もちろん、前段落と同じように程度の問題もあるのも事実だけど、ただ実話が元になっているという部分が許容される原因でしょう。

実話だといって、まったくの作り話だった場合、一部の人は「僕の純粋な気持ちを裏切ったな」という気持ちになるわけです。これは本人が自覚していない場合もあります。その場合の反応として、「嘘がソースの話は信用するなボケ」とかになりがちです。

また、話は嘘でも良い話ではないか?という人の意見も、聞く耳も持ちません。話自体は良いと思うのは、主観ですから嘘であってもそう思う人がいてもおかしくないでしょう。作家の人格がぶっ壊れていても、その作品がよければ人はそれが良いと思うのと同じです。

しかし、その作家がある犯罪を起こしたとしたらどうでしょうか?たぶん、今回のように意見が分かれだすと思います。ただ、作家の人格と作品は別という意識が広まっているおかげで今回ほどの一方的なことは起こりえません。


差別する人を非難するのも良いが
差別する人を非難することもよいが、その根底に流れる意識というものが「差別」とかわらないものだとしたら、差別を非難してるつもりが差別を生み出していると考えても良いと思う。

差別を非難する場合は、そこに大義名分があるため、その行為が差別と同等のものだということに気づきにくいし、当人も正しいことをいているという思いで、非難される人たちの気持ちなんてちっとも考えていないことも多々ある。

もちろん、差別を非難することは悪くないが、その方法や表現方法に注意が必要だということです。「嘘がソースの話は信用するなボケ」というのが正しいとするのなら、「差別からくる差別非難発言は信用するなボケ」ということになるわけです。


デマの拡散と同じではない

一見するとデマの拡散と同じように感じるが、実際はそうではない。

仮に同じだとしても、同じだと思わない人たちも結構多いので、デマの拡散をやめたい場合は、その影響度の高い「嘘話?」を拡散させることをやめるようにさせたほうが良いわけです。

影響度の低いほとんど無害なものを槍玉に挙げても、ネットリテラシーとも関係ないわけです。この手の話は、道徳教材にありそうな、本当にありそうで実はまったくの作り話の嘘話と同程度だと思います。

なんでも一律に、それも一般化して駄目だというのは、リテラシーでもなんでもないと思います。

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