一杯のかけそば現象?!

ところが、「ゲーセン少女」に対しては、私はただのウソじゃなくて、「タチの悪い嘘」を感じたわけだ。
ところが、まおゆうにおいては私がそうだったように、「感動したんだからいいじゃん」とその部分を許容出来る人もいるのだ。
このあたり、人によって、作品によって立場が変わる、完全に相対的な話なのだ。だから、肯定する側も否定する側もお互い好きにすればいい。
http://anond.hatelabo.jp/20120123174335


すばらしい作品を書いた作家の人間性を知って幻滅するとか、風貌をしって幻滅するとかそういうのと本当のところは似たような部分もあるのだろうなと思う。

作家に人間性を求めては駄目なように、作品に作品以外のものを求めては駄目なのかもしれない。もちろん、求めても良いけど、幻滅したからといって作品自体は前となんら変わりない。だって、1文字も修正がかかっていないのだから前とまったく同じものです。

食事が、雰囲気や食べる相手や場所によって味が変わるようなものかもしれませんね。作品というものはその周りの環境も含めて、作品と呼ぶのか、作品単体だけで作品と呼ぶのかによっても違うだろうと思いますよ。

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