大義(根拠)がある差別は、差別でなくて区別なんだ?!

この背景を、「日本人は韓国人を嫌っている」というものであると考えれば全てがしっくりくる。
韓国人が嫌いなら、韓流そのものも嫌いであるし、韓流をゴリ押しするフジテレビも許せない、だから「デモをする価値がある」と思えてくる。
不思議なのは、陰謀論を唱える人たちが日本人を悪者にしないところ。


彼らがなぜか必死に個人の嗜好ではないと主張したがるのは、
http://anond.hatelabo.jp/20110823091052

この運動?があまり一般に受けりれられていない、支持されていないと私は思うのでちょっと安心してはいる。
運動を起こすのなら、もっと巧妙にしないとうまくいかないのではないか?と思う。「日本人なら当然このことに賛同すべき」という意識が強すぎるために、そういう戦略がとりにくいのではなかろうかと思う。

まずこの問題が差別的な要素が含まれてるかどうかなんですね。大義をかざしているし根拠もそれなりにあるので、差別でないと思う人もいるのでしょう。しかし、差別というものは大義があっても根拠があっても、差別というものは差別と認識になるわけです。

今回の場合は、不当に韓国、韓国人、韓国関連のイメージを下げるような行為であります。これは差別だと思われても仕方がなかろうと思います。差別でないと思っても、大衆がそう思う限り差別だという扱いで処理されてしまいます。この手の話題を正当に扱うのは細心の注意が必要なのです。これは韓国の問題ばかりではありません。

またここでも、差別に対する誤解があります。正しく事実を認識すれば、正しく事実を理解してもらえば差別でないとわかってもらえるはずだという思い込みです。本当にそうでしょうか?

正しく事実を理解して防げるのは、根拠なき差別の場合だけです。根拠ある差別においては、正しく事実を理解してもらっても無駄なのはわかるでしょう。

この手の差別というか排除というのはに日常生活にもあるのは事実です。集団心理的なものでしょうが、何かを排除することによって結束力が高まったりするわけですね。このようなことが差別を生み、少なからずの人が不幸になってきた歴史があるわけで、それをやめようということで「根拠ある差別」もできる限るやめるべきだという思想が生まれたわけです。

報復合戦したっていいことはあまりないと思うのです。相手がこうしてるからこっちもこうすべきだ理論とかもどうかなと思います。大きな視野で見てるつもりがミクロの現象をそのままマクロの現象にも適用できると思い込んでるだけなのかもしれません。

もし韓国政府が戦略として韓国文化を日本に浸透させようとしていても、通常の手段や方法を使ってる限りは問題ないと考えるべきなのかもしれません。これに対して韓国がどうのこうのというよりも、日本政府がどのような戦略を持っているか、どのような対策をすべきかと考えるべきで、TVバッシングしてもどうかなと思うわけです。

日本だって、一時期?は経済による侵略だといわれたことだってあるわけですから。

日本文化や日本民族が大事だと思うのなら、横文字とかアルファベットとかそういうもの欧米文化の侵略ですし、まして英語を義務教育になんてトンデモナイことだと思います。英語は世界標準語でなくて、世界で多く使われている言語だというだけなんですからね。

そんなことをしたら日本が世界に置いてきぼりになる、日本経済がなりたたないとか思うんだったら、それって都合のいい文化保護だなと私は思います。英語の戦略はすごいわけです。

文化を守りたいのなら、フランスの文化保護政策みたいなことを日本もすればよいだけなのではと思います。

結局、どのようにしていきたいのか?というビジョンがないと思われる運動は支持されにくいと思います。まして、差別的要素が含まれてるとなるのなら・・・。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。